注:このコーナーは新規のファンやファンでは無い方向けに書いております。
ファン歴がそれなりの方なら既に御存じの内容かと思うので御了承願いますヨロシク☆
夢を持ってレコード会社にデモテープを持ち込んではみたものの玉砕という結果となった永ちゃん。
それから、やっと本格的なバンドを始める事になるのですが、この頃に一度、当時ジュリアというバンドで活動していたジョニー大倉と出会います。
ただ、この時は挨拶程度の会話で終わり、まさか、この後に二人して日本のロックシーンに革命的な影響を与えるバンドを結成するとは、お互い夢にも思わなかった事でしょう。
話しを戻しますと、この時、集まったメンバーは永ちゃんを含めて全員が、まともなバンド経験も無い素人ばかりでした。
「即、解散!」と言いたくなるも、やる前から止めたんじゃ何も始まらないと思い直し、そのメンツで活動を開始します。
この時のバンド名はザ・ベース。
永ちゃんが名付け、初演奏はライヴハウス等では無く当時あった歌声喫茶でした。
そこで何となく自信を付けた永ちゃんとザ・ベースの面々ですが、その後、本格的なライヴハウスに出演した時は練習不足、経験不足が露呈して大恥をかく事に。
永ちゃんも、こういう経験をして努力を積み重ねて今の地位を築いた訳ですが、個人的には貧困から脱却する様な話より、こういうエピソードの方が感銘を受けます。
それは兎も角
この頃、ザ・ベースが練習場所にしていたのが、横浜スタジアムが出来る前の横浜公園の直ぐ横に有った梅香亭という洋食屋さんの2階でした。
練習、ライヴを繰り返し、徐々に実力を付けていくザ・ベースでしたが、練習場所だった梅香亭が騒音問題で貸して貰えなくなり、またメンバーの一人が仕事が多忙なのを理由に脱退。
その後、新しいメンバーが加わるのですが、これが永ちゃんのバンド人生最初の転機となります。
その、新たに加わったメンバー、藤田氏はザ・ベースに加入する前からバンド活動をしており、そのキャリアは永ちゃん達よりも長い故にレベルが高く藤田氏のギタープレイを聴いた永ちゃんは「個人的に話がある」として他のメンバーが居ない所で自身の夢や今後の展望を語ります。
それを聞いた藤田氏は当初はピンと来なかった様ですが、永ちゃんはこの時、初めて、それまで書き貯めていた自身のオリジナル曲を披露。
そのメロディに関心した藤田氏は永ちゃんと意気投合し、更にその後
「矢沢、俺の友達にギターの天才が居る。矢沢の話をしたらお前に逢いたいって」
そのギターの天才というのが現在でも永ちゃんの盟友で後に相沢行夫とNOBODYを結成する木原敏雄でした。
木原氏は永ちゃんのヴォーカルとオリジナル曲の出来を絶賛。
永ちゃんも藤田氏より更に上手い木原氏のギターに脱帽し、両氏と出会った事で永ちゃんはザ・ベースを解散。
新たにイーセットというバンドを結成しますが、この時、ベーシストが居なかった為に永ちゃん自らベースを始め、この時から永ちゃんはベース・ヴォーカルのスタイルに成ります。
その直後、他のバンドから若くて上手いドラムを引き抜いてバンド名も【ヤマト】に変更。
このヤマトがアマチュア時代の永ちゃんのキャリアで重要なバンドと成ります。
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