☆矢沢永吉☆稀代のRock Star誕生迄の軌跡Vol.5

注:このコーナーは新規のファンやファンでは無い方向けに書いております。

ファン歴がそれなりの方なら既に御存じの内容かと思うので御了承願いますヨロシク☆


永ちゃんはザ・ベース時代には自身が作成したオリジナル曲を一切演ろうとしませんでしたがヤマト結成と同時に、それを解禁。

ルイジアンナやアイ・ラヴ・ユー、OK等、後にキャロルやソロに成ってからリリースされる楽曲に英語の詩を付けてレパートリーに加えており、その出来の良さから、それらの曲を洋楽カバーと勘違いする客も多く居たそうです。

実際、ヤマトは当時の横浜では、かなり名の知れたバンドだったらしく、ジョニー大倉も、その存在を認知してた様でした。

固定ファンは勿論、グルーピーまで居た当時のヤマト。

永ちゃんはヤマトに絶対の自信を持ってました。

そんな頃に最初の奥さんと成る女性と出逢います。

公私共に充実した人生を送る永ちゃんでしたが、残念ながら諸事情あってヤマトは解散。

この時ばかりは永ちゃんも夢を諦めかけた様でした。

ですが、当時の奥様に激励され、改めてバンド結成に動き出します。

ただ、新バンドに最初に応募してきた人物は永ちゃんの眼鏡に叶う様な人材では有りませんでした。

ですが、その応募者の友人が後にキャロルのリード・ギタリストと成るウッチャンこと内海利勝だったのです。

永ちゃんは難色を示すウッチャンを強引に新バンドに勧誘。

結果的に新メンバー獲得に成功します。

そして、元ジュリアのジョニー大倉と遂に再会。

お互い「あ、あの時の!」と当時の記憶を懐かしみながらもウッチャンも混ぜて新バンドの構想を練り始めます。

こうして「ハンブルク時代のビートルズ」を模範にするというジョニーの構想が採用されバンド名もジョニー発案のキャロルに決定。

因みに永ちゃんは、この頃、既に時代遅れだったリーゼントを嫌がっており

「ジョニーさぁ、リーゼントだけは止めようよ」

と最後まで拒否っておりました。

結局、キャロルが実際にリーゼントに革ジャンというスタイルでキメるのは、あるテレビ出演が決まってからなのですが、このデビューに至る迄の経緯は、「流石、矢沢永吉!」と言いたくなる様なエピソードで、その話は次回ヨロシク。

尚、この頃、永ちゃんは実のお母様と再会する機会にも恵まれるのですが、その辺の話や、先に書いた最初の奥様に成る女性との馴れ初め等、更には永ちゃんの初体験話も【成りあがり】に詳しく書いてありますので興味有る方は是非お読み下さい。

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