注:このコーナーは新規のファンやファンでは無い方向けに書いております。
ファン歴がそれなりの方なら既に御存じの内容かと思うので御了承願いますヨロシク☆
キャロルのデビューは日本の芸能界に革命的と言える程の影響を与えた様です。
内田裕也やミッキー・カーチス等の大御所からコンタクトが有った事は前にも書きましたが
デビュー後はジュリー(沢田研二)やショーケン(萩原健一)等の大スターが
キャロルのレコーディングの見学に来たり
音楽性においてもフォーク全盛だった時代に
永ちゃんが創る完全なる洋楽と言ってもいいメロディは新鮮で
尚且つジョニー大倉の書いた詩は
リズムに乗り難いと言われる日本語を上手くリズムに乗せる事に成功し
いわゆる「日本語ロック」の方向性を決定づけた様で
後の邦楽シーンに多大な影響を与えます。
また、当時NHKのプロデューサーであった龍村仁氏は
キャロルのライヴに感動してバンドのドキュメンターを制作。
(しかし放映を巡って局上層部が難色を示し、その後、訴訟にまで発展)
それから全くの異業種であるファッション業界からは
デザイナーの山本寛斎氏がキャロルに注目。
パリで開催される自身のファッションショーにて
当時としては珍しいロック・コンサートとのコラボを企画し
キャロルに白羽の矢が立つ事となります。
(ただ、これは現地メディアにショーその物が酷評された様)
一方でキャロルのトレードマークともいえる
リーゼントに革ジャンというスタイルは
良くも悪くも、その後のロック界に固定観念的なイメージを定着させ
結果的に、いわゆるツッパリ、ヤンキー、暴走族の誕生、増殖にも一役買ってしまい
それはソロ・デビューしてからの矢沢永吉にも少なからず悪影響を与えてしまいます。
センセーショナルなデビューと共に夢を掴んだかに見えましたが
理想と現実の狭間で新たな悩み、苦しみを味わう事になる永ちゃん。
その話は、また次回ヨロシク☆
当時の零れ話で
永ちゃんはジュリーと初めて会った時
「いつでも電話してきてよ!オレ達もう友達ジャン!」と
ジュリーに電話番号を教えたらしいのですが
デビュー後も川崎の風呂無しアパートに住んでた事から
渡した電話番号は当時のアパートの一階に住む大家さんの物。
それで永ちゃんは帰宅する度に大家さんに
「ジュリーから電話あった?」と聞いてたのですが
結局、一度も電話が来る事は無く
「俺達、友達じゃ無かったんだ…」
と傷付いたんだとか(笑)
一方、ショーケンとのエピソードでは
ショーケンがキャロルのレコーディングに見学に来るとの事で
ジョニー達3人が浮ついてる中
永ちゃんは「興味無ぇよ」って態度で寝たふりをしてたそうな。
ただ本当は永ちゃんも内心ドギマギしており
そんな中、ショーケンがスタジオに到着。
3人が恭しく挨拶をしていると
「お前達がキャロルか!カッコいいなぁ!!」とショーケン。
それを聞いた永ちゃんは「今だっ!」と飛び起きて
「そういうアンタもカッコいいよねっ!」
その瞬間、場の空気は一気に冷え込んで
ショーケンは「何だコイツ?」って目で永ちゃんを見てたんだそうな(笑)
天下の矢沢永吉も時に壮大な勘違いを起すというお話でした(爆)
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